悲しみの正体
日曜日は一日中大好きな人のことを考えてた。
夢を覚えてたせいでもあるけれど。
いまはすてきな彼女ができて
大好きな人のテリトリーには絶対いれてもらえない。
すこし優しくしてもらえるかと思ったら、やっぱり冷たくて悲しい。
だから、昨日は一日中大好きな人がいちゃいちゃ遊んでることを腹に溜めながら
ずっと、ずっと考えていた。
最初から芽がないことはわかっていたから
どうして私こんなに悲しいのだろう。
彼女さんできて喜べるくらい大好きなのに。。。。
あなたとあなたが感じてる幸せ感を味わいたかった?
そうだけど。これが嫉妬なのか。
嫉妬ならあきらめたら無くなる?
隣に私がいないから、嫉妬する。
ううん、ずっと考えていたら
ようやくたどり着いた、悲しみの正体。
どんなに好きでも日常で繋がらないと
忘れちゃうんだよね。
忘れちゃうことがわかって悲しい。
私がこんなにも、苦しくてさびしくて、でもいままですっごく楽しくてうれしくて
そういうときめき一切をきっと
「そんなときもあったね」で片づいちゃう。
それが悲しくて、いまの破片をすがる思いで握りしめてる。
私がさびしくなっちゃうのが悲しくて、哀しい。
正体みえちゃったから
もう、きょうからは自分の冷たさになれて浸されて
この文章も、目標に達しないまま終わるの。
人の意気込みなんて浅はかなもの。